菊・菊水(きく・きくすい)

  
 菊はもともと日本在来のものではなく、中国渡来の植物で、仁徳天皇の13年頃に大陸より伝来したという。宮中で大切に扱い、薬用にしたという。中国の南陽の甘谷には、菊が群生していて、その沢の水を飲むと百歳の長寿を保つという伝説があった。また、陰暦九月は菊月といわれ、九月九日の重陽の節句には菊祭りを行って幸せを願った。そして、平安時代から鎌倉時代にかけて衣服の文様に好んで用いられるようになり、それが、やがて家の紋章としても用いられるようになった。 鎌倉のはじめ、菊模様を熱愛した後鳥羽上皇が衣類・調度その他にたくさんつけたことから、家臣は自然と遠慮するようになった。これらの伝統から、皇室の紋章に移行したとされます。
 使用家は、公家では広幡・水無瀬・七条・桜井氏らが用い、武家では足利尊氏が後醍醐天皇から恩賞として菊紋を下賜されたとあります。設楽氏が「三つ盛菊」、楠木・和田氏が「菊水」、逸見氏が「籬架(マセ)菊」、大芋氏が「二つ雁に菊水」、妹尾氏が「輪違いに菊」、宇津木・中村氏が「亀甲の内に菊」、若槻氏が「菊」、横越氏が「丸の内に合せ割菊」、大河戸氏が「並び菊」とかなりの武家が用いていることが知られる。
 

参考資料 講談社「家紋と家系辞典」他

 
     

八つ菊

十菊

十二菊

陰十六菊

石持ち地抜き十六菊

     

十六菊

十六裏菊

十六弁八重表菊

十六鬼菊

十六剣菊

     

十六重ね菊

八重菊

青山菊

実相院菊

板倉菊

     

大宮菊

旧竹田宮家

旧北白川宮家

旧東久邇宮家

旧伏見宮家

     

旧梨本宮家

旧久邇宮家

旧賀陽宮家

旧有栖川宮家

常陸宮家

     

三笠宮家

高松宮家

秩父宮家

天台宗菊輪宝

八重菊輪

     

木戸菊

八重裏鬼菊

九重菊

捻じ菊

饅頭菊

     

乱れ菊

裏乱れ菊

禿菊

菊菱

陰菊菱

     

糸輪に菊菱

裏菊菱

鬼菊菱

蔓菊菱

裏乱菊菱

     

千重菊菱

割り菊菱

四つ割り菊菱

三つ寄せ菊菱

三つ盛り菊菱

     

割り菊の葉菱

葉付き菊菱

菊桐菱比翼
光琳菊

月輪に
総覗き千重菊菱

     

糸輪に覗き菊

菊に一の字

中輪に菊菱に一の字

半菊に一の字

丸に半菊

     

丸に二つ半菊

抱き開き菊

三つ割り菊

陰三つ割り菊

割り菊

     

丸に三つ割り菊

三つ割り菊に
立ち沢瀉

三つ割り菊に木瓜

花付き三つ割り菊

三つ割り菊に剣片喰

     

三つ横見菊

四つ割り菊に花角

四つ割り菊に
葉付き菊

菊浮線綾に平四つ目

菊浮線綾

     

菊浮線綾に
丸に三つ星

菊輪に三つ星

菊輪に三つ柏

菊輪に三つ雁金

菊輪に抱き菊の葉

     

菊輪

枝菊

変わり枝菊

変わり枝菊

乱れ枝菊

     

枝野菊

野菊枝丸

乱れ菊枝丸

菊枝丸

高麗菊枝丸

     

中輪に菊の枝丸

雪月輪に枝菊

野菊の丸

変わり菊の枝丸

葉付き横見菊の丸

     

葉付き乱れ菊

菊水

葉付き菊水

菊水

菊水

     

菊水

変わり菊水

肘張菊水

二雁に菊水

籬架菊

     

籬架菊

籬架菊

菊蝶

菊飛び蝶

蟹菊

     

菊鶴

浮線菊

変わり浮線菊

浮線花菊

中陰対い割り菊

     

葉付き菊車

細輪に菊の葉

丸に鬼菊の葉

抱き菊の葉

陰抱き菊の葉

     

丸に抱き菊の葉

石持ち地抜き
抱き菊の葉

細抱き菊の葉に
抱き茗荷

抱き枝菊

違い割り菊の葉

     

三つ違い菊の葉

三つ葉菊

三つ葉野菊

三つ追い菊の葉

三つ追い菊の業に菊

     

三つ追い菊の葉に
三つ割り菊

三つ追い菊の葉に
三つ地紙

三つ追い菊の葉に桜

三つ追い菊の葉に
揚羽蝶

三つ割り菊の葉に
光琳菊

     

六角葉付き
三つ横見菊

有栖川抱き葉菊

抱き菊の葉に菊

抱き菊の葉に三つ橘

杏葉菊

     

葉陰杏葉菊

総陰杏葉菊

変わり杏葉菊

鬼杏葉菊

割り杏葉菊

     

割り菊の葉

葉陰鬼菊の丸

細割り菊の葉に菊

外割り抱き菊の葉

外割り
抱き菊の葉に巴

     

浪に裏菊

菊桐比翼

半月菊

葉敷横見菊

二葉乱れ菊

     

横見菊に抱き菊の葉

菊座橘

菊座花鉄線

外八つ鐶に菊

斧菊

     

 

 

 

 

 丸に覗菊に雁金

 丸に野菊葉

 中輪に一本葉菊

  
    

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