名物裂の文様 三雲屋緞子萌黄地青海波宝尽文 (みくもやどんす)  【緞子】
 
本能寺緞子の色変わりの裂で、萌黄や淡緑の地色に、二重の青海波、捻唐草、宝尽文を配する。中興名物「秋の夜茶入」、「染川茶入」などの仕覆に用いられている。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 御簾手 (みすで)  【】
 
この裂は、インドの製織と伝えられている。古い物は中渡り(永正~大永の頃)を最古とし、後渡り、近渡り、さまざまの時代があり、概して中渡りの時代に格調高いものが多く、後渡り、近渡りは支那の模造とみられるものが多い。この裂は中でも最古の物で上品で、御簾裂、御簾段、または御簾手といわれ、文様の由来は定かではない。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 妙心寺金襴 (みょうしんじきんらん)  【金襴】
 
妙心寺の戸帳に用いられたと伝えられる裂。やや大きめの椿の文様が一段ごとに向きを変えて織り出されている図柄。妙心寺は京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山。開山は閑山慧玄(かいざえげん)。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 紫地大坂蜀錦金襴 (むらさきじおおさかしょっきんきんらん)  【金襴】
 
蜀錦は蜀金とも書く。この裂の本歌は京都・妙顕寺の「日蓮上人筆題目」の表装裂を伝えられ、名物「利休物相茶入」などの仕覆に用いられている。『古今名物類聚』には「大坂蜀金 安楽庵」とある。紫地に、金地で織り出し、丸紋の中に水禽、魚紋を上紋としている。蜀金は逢坂蜀金金襴の異名といわれる。他の金地金襴のように地文と上文の区別がなく、全面はほとんど金平糸で覆われた金襴である。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 紫地一重蔓中牡丹之金襴 (むらさきじひとえづるちゅうぼたんのきんらん)  【金襴】
 
各種の地色に五弁花や霊芝を添えた一重蔓唐草を水平方向にのばして織り出し、各列ごとに二種の牡丹花文を配している。一般の唐草文様とやや異なる裂。縹地一重蔓中牡丹之金襴もある。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 萌黄小文笹蔓純子 (もえぎこもんささづるどんす)  【緞子】
 
比較的小さな笹蔓文が裂一面を埋め尽くしている。「笹蔓手」の裂。笹蔓手は織られた時期が長期にわたるため、織り方による文の多くの変化も見られるという。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 萌黄地石畳之金襴 (もえぎじいしだたみのきんらん)  【金襴】
 
全面に石畳文を織り出し、金地に宝尽文を配した裂。同種の裂で、卍字や鳥・星文のものもある。中興名物「小川茶入」や「増鏡茶入」などの仕覆に用いられている。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 萌黄地人形手純子 (もえぎじにんぎょうでどんす)  【緞子】
 
唐草を引いて遊ぶ唐子の姿を表す。人形手とは名物裂の緞子、金襴、更紗に見る異国の人物文様のものを指し、江戸時代の名物裂帳などに、すでにその名が見られる。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 萌黄地花兎金襴 (もえぎじはなうさぎきんらん)  【金襴】
 
解説は花兎金襴を参照。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 萬代屋緞子 (もずやどんす)  【緞子】
 
境衆茶匠の一人、利休の娘婿である萬代屋宗の所持と伝えられる裂。波の地文に、小さな梅鉢文の配される図柄で、流水文は当時、中国で流行した文様のようで、類似の文様裂に散見される。東京国立博物館(毛利家旧蔵)のものは、薄萌黄地に、金茶糸で青海波紋と梅花紋を織り出したもの。経四枚綾地に緯八枚綾で文様を織り出している。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 望月間道 (もちづきかんとう)  【間道】
 
織部流の茶人望月宗竹が愛用していたのでその名がつけられたという。地に無地と小格子を織り出し、細い色縞の格子や竪縞、変化のある真田の横縞、これらの色彩と縞柄がかもし出す単調と複雑の二面性、また沈静と絢爛性の両面表示の展開が、洒落たエキゾチックな感じをうけ、限りない魅力となっている。
同じような色調で、五色間道があるが、縞の配列、横の真田の組み方が違っている。混同されやすい。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 弥左衛門間道 (やざえもんかんとう)  【間道】
 
博多の満田弥左衛門が宋より持ち帰ったと伝えられるが、伝来は不詳。この間道は大名物「日野肩衝茶入」や中興名物「玉津島茶入」の仕覆に用いられる。類似裂に「中尾間道」「朝倉間道」がある。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 弥左衛門間道 (やざえもんかんとう)  【間道】
 
解説は上記参照。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 弥兵衛間道 (やへいかんとう)  【間道】
 
鎌倉時代、宋に渡り、後に博多で間道を織った弥兵衛の名にちなんだ裂と伝えられる。緋色の太縞んい浅葱・白・紺・小豆色などの竪縞に配し、白衣横縞を配して格子にしたもの。一名、有来(うらい)間道ともいう。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 弥兵衛間道 (やへいかんとう)  【間道】
 解説は上記参照。 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 吉野間道 (よしのかんとう)  【間道】
 
江戸初期の豪商、灰屋紹益が吉野太夫に贈ったと伝えられる裂。濃い緑どの太縞の両側に臙脂や白などの細縞で囲み、同色の浮織縞を横に打ち込んだもの。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 吉野間道【吉野五色間道】 (よしのかんとう)  【間道】
 
縞織物は美しく新鮮な感があり、やぼったさがなく、種々の色彩を持つ絵の構成が表出するリズムは、時には厳しく、また柔らかな親しさも感じ、派手さも地味をも併せ持つこの縞織物に茶人たちが注目したのは当然のことであったと思われる。五色の色彩が美しい配列に最も妙を得ている気品の高い間道裂の一つである。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 吉野間道【子持真田入吉野間道】 (よしのかんとう)  【間道】
 
解説は上記参照。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 吉野間道【小真田入吉野間道】 (よしのかんとう)  【間道】
 
解説は上記参照。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 米市金襴 (よねいちきんらん)  【金襴】
 
名称は中興名物「米市茶入」の仕覆裂として用いられていることに由来する。七宝繋ぎの中に、花文を表している。かつて茶人の雲山が所持していた米市茶入の仕覆として、雲山裂というせつもある。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 襴絹緞子 (らんけんどんす)  【緞子】
 
一段ごとに飛雲文と向かい合った玉取獅子の図柄。名称の襴絹は襴地の絹と考えられ、「襴」と緯(ぬき)は綾地という意味を含んでいるようで、綾地に緯違い文様を織り出した裂。薄く手触りがしゃりしゃりするのが特徴。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 利休間道 (りきゅうかんとう)  【間道】
 
白・紺の糸を用いた細かい格子縞でよくみると千鳥格子風。利休が大名物「松屋肩衝茶入」の仕覆に用いた裂である。紹鴎間道によく似ているが紹鴎間道は経緯共に細い絹糸を使用している。紹鴎所持の裂を利休が仕服に好んだと見る向きもある。地風が素朴で、色調・格子柄もいかにも質素で侘びた紬風な間道で「木綿間道」の名もある。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 利休緞(純)子 (りきゅうどんす)  【緞子】
 
利休愛用の名器と称される黒漆塗の棗(なつめ)の袋裂似使用されて、今日まで伝えられいる裂であるが、これを利休緞子という。五つの点と、それを無造作に結ぶ構成によって、梅花を表しているが、心憎い鮮やかな意匠といえよう。単なる点とも考えられる丸い形で梅花を形成し、一種の気魄と、自信と、安定性さえ感じられる。誇り高き梅花文様ではあるまいか。この裂は明時代の作品である。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 利休梅緞子 (りきゅううめどんす)  【緞子】
 
解説は上記参照。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 龍麒麟蜀江錦 (りゅうきりんしょっこうにしき)  【錦】
 
この本歌の墨書から、中国・明王室の織染局で作られたことがわかる。黄茶地に萌黄・縹・赤の三色をう暈繝風に扱い、円に麒麟、輪花に龍、方形に六弁の花を各々納めた錦。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 龍鳳鶴文錦 (りゅうほうかくもんにしき)  【錦】
 
龍鳳鶴文錦の掤源は非常に古く、随錦に見られるように、錦として著しく高度な織物に発達した。それがわが国に渡来して、飛鳥、寧楽時代の龍鳳鶴文錦となったものである。従ってわが国の龍鳳鶴文は、殆んど例外なく天平時代に盛行したこの文様に、範をとっている。
しかし本家の支那では、その後各時代の変遷を経て朝鮮に移ったものに保有されているといわれる。様式としてはかなり近代化されており、また色彩にも近世風の彩調を帯びていることも看過できない。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 和久田異紋 (わくだいもん)  
 
この裂の名称の和久田とは、江戸の名工和久田家の愛用したものであると伝えられる。元来、和久田というものには数種類あり、好事家は和久田類裂とよんでいる。その一つに、三角形を現した意匠の鱗紋の裂は和久田異紋で、制作年代は明時代の作と思われる。
はじめのうちは印象は強くなかった様であるが、時代の美意識にかなって、次第に賞揚されたものと思われる。
同家に金襴が二種類あって、縹、白、浅黄および茶色の縦縞に、白、黄色、を横縞にだし、木瓜形の中に花鳥獣を金糸で織り出したもの、また、薄浅黄、白、茶、こげ茶、薄萌黄色の縦縞に金糸で花獣の丸文を織り出したものがある。ただし、これは金襴であるから、当然表題の和久田異紋とは異なるが、和久田の名称で数種類の裂があるので、これが混同されないために附記した。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。
  
  名物裂の文様 和久田金襴 (わくたきんらん)  【金襴】
 
和久田家伝来に由来するこの金襴には、和久田金襴、安楽庵手和久田金襴、江戸和久田金襴の三種類に分けられ、文様構成などがそれぞれ多少異なる。本和久田金襴は、白地に行雲流水の紋様を織り出したもので、最も古く宋末から元初の製とされる。安楽庵手和久田金襴は、縹地に蓮池に鳥魚の紋様を織り出したもので、明代中期の製とされる。江戸和久田金襴は、堅縞の段織五枚繻子地に鳥獣や花弁を丸紋や木瓜形に織り出したもので、明末の製とされる。この裂は、裂一面に鷺、水鳥、魚、流水、草花などの文様が織り出されたもの。
 
  
この記事は淡交社発行の茶の裂名鑑他を引用しています。