着物の文様辞典

  

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  歌舞伎から生まれた文様
 

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花勝見模様(はなかつみもよう)》
花勝見(はなかつみ)は水草の一種で、これを図案化した模様は以前からありましたが、文化・文政年間、西暦一八〇四年~一八三〇年に活躍した江戸の人気役者、三代目坂東三津五郎が舞台衣装に使用して流行したデザインです。浮世絵には、この花勝見模様の着物を着た女性が描かれたものもあり、当時の人気の程がうかがえます。

  

《市村格子(いちむらごうし)》
横1本と縦6本の格子の間に「ら」の文字を入れ、「一六ら(いちむら→市村)」と読ませるデザインです。
江戸時代の歌舞伎俳優、十二代目・市村羽左衛門(うざえもん)が好んで使いました。
格子の筋が部分的に欠けている「破れ市村格子」という変種もあります。
  

《半四郎鹿の子(はんしろうかのこ)》
文化・文政年間に江戸の名女形として活躍した、五代目岩井半四郎が舞台衣装に使用して人気を博した模様で、当時、娘から老婆に至るまで、世代を問わず、この鹿の子模様の品を用いることが大流行しました。
  

《半四郎小紋》
  

 《 半四郎格子(はんしろうこうし)》
  

《市松模様(いちまつもよう)》
市松模様は、古くからあった石畳模様のことで、色の異なる二つの四角形を、上下左右に交互に並べたものです。
初代佐野川市松という歌舞伎役者が、寛保(かんぽ う)元年、西暦一七四一年に演じた芝居の中で衣装に使用して人気を呼び、この石畳模様の小袖を着ない女性はない程に流行しました。
そして、人びとは「市松染」と言いはやして、以後、市松模様と呼ばれるようになって定着しました。
  

《亀蔵小紋》
亀蔵とは、宝暦(ほうれき)年間、西暦一七五一年~一七六四年に活躍した九代目市村羽左衛門の前名です。
彼の渦巻き模様の舞台衣装が粋(いき)だとして流行し、前名をそのままに「亀蔵小紋」の名で通用されました。

  

《手綱染(たづなぞめ)・小六染(ころくぞめ)》
紅白・紫白などの2色で幅広に染め分けた斜めの縞模様で、馬の手綱によく使われることから名づけられた模様です。だんだら染とも呼ばれます。布の横筋を染めた横縞も「手綱染」(江戸)「だんだら染」(京阪)と呼びました。白左巻きの手綱染を特に「小六染(ころくぞめ)」と呼ばれます。江戸時代、享保(1716-1736)の頃の名女形だった歌舞伎役者、嵐小六が「夢結ねぐらの蝶」のお房役の舞台衣装に用いたことから流行しました。

  

《高麗屋格子(こうらいやこうし)》
四代目松本幸四郎の着ている着物の柄が「高麗屋格子」 または「高麗屋縞」と呼ばれる模様で、この模様の名は松本幸四郎の屋号、高麗屋からきています。流行したのは、息子の五代目幸四郎が享和三年、西暦一八〇三年に上演された芝居の中で、幡随長兵衛の役で出演、その見せ場の一つ「鈴ケ森の場」で、幸四郎が羽織る合羽に用いた格子縞がたちまち評判を呼び、流行したものです。

  
《鎌輪ぬ(かまわぬ)模様》
「鎌」と「丸輪」と「ぬ」の字を配したデザインで、これで「かまわぬ」と読ませるという洒落を含んだものです。
もともとは、江戸時代初期の寛文(かんぶん)年間、西暦一六六一年~一六七三年前後に、「町奴(まちやっこ)」と呼ばれた侠客(きょうきゃく)の間で愛用された模様といわれています。
その後廃れていたものを、七代目市川団十郎が文政年間、西暦一八一八年~一八三〇年ころに舞台で使用して、奇抜な絵と文字の雲合わせが大評判になりました。
以後、市川家好みのデザインとして、現在に至るまで使用されています。
  
《斧琴菊(よきこときく)模様》
「斧(おの)」と「琴」と「菊」の字、または絵を配して「よきこときく」と読ませるデザインです。
「斧」を「よき」と読ませるのは、小形の斧のことを「よき」と呼ぶことによります。
先の「鎌輪ぬ模様」と同じく、この模様の歴史も古く、貞享(じょうきょう)四年、西暦一六八七年に刊行された、『女用訓蒙図彙(おんなようきんもうずい)』という本の中に、着物の雛形として掲載されています。
  
《三枡格子(みますごうし)》
三筋格子(同じ太さの筋が3本1組で縦横に並べられた格子縞)に、3本筋とは間を空けて1本または複数の筋を加えた格子縞をいいます。3本筋と別の筋は太さや色が違う場合も見受けられます。三筋格子自体を三枡格子と同一とする場合もあります。江戸後期の文化年間の縞・格子の流行にともない、歌舞伎役者の七代目・市川団十郎が定紋の「三枡」を崩して考案した模様です。ゆえに「団十郎格子」ともいいます。
  
《芝翫縞(しかんじま)》
四本の縦縞の間に楕円の環繋ぎを置いた模様です。
江戸時代後期の文化年間に、歌舞伎役者の初代中村芝翫(三代目中村歌右衛門)が「芝翫(しかん)」と「四環」の語呂合わせで舞台衣装に用いて流行させたデザインです。
現代でも浴衣や手ぬぐいなどの柄に用いられています。
  
《三津五郎縞(みつごろうじま)》
3本・5本・6本の縞を縦横に交差させた格子模様。三津五郎格子(みつごろうごうし)」とも呼ばれます。江戸後期の文化・文政時代の歌舞伎俳優、三代目・坂東三津五郎の名前にちなみ(三五六→みつごろう)つけられた名称です。
  
《三枡繋ぎ(みますつなぎ)》
三つの正方形を重ねた模様を、大・中・小の三つ入れ子の枡に見立て「三枡文(みますもん)」「三枡」といいます。歌舞伎役者の初代・市川団十郎が稲妻文から考案したといわれ、市川家の定紋として有名です。三枡文を一列に並べた模様、またはに互い違いに並べた石畳(市松)模様を「三枡繋ぎ(みますつなぎ)」「三枡縞(みますじま)」と呼びます。
  
《イ菱(いびし)》
カタカナの「イ」の字を4つ、90度づつ向きを変えて卍の様に追いかける形に並べた模様です。「イ」の斜めの線が菱形の輪郭線に見えることから「イの字菱」ともよばれます。歌舞伎役者の名跡(みょうせき/代々受け継がれる名前)のひとつ・中村鴈治郎(なかむら・がんじろう)の定紋です。
  
《菊五郎格子(きくごろうごうし)》
縦4本と横5本の合計9本の縞を縦横に交差させた格子柄の間に「キ」と「呂」の文字を入れ、「キ九五呂(きくごろ→菊五郎)」と読ませます。江戸後期の文化・文政時代の歌舞伎俳優、三代目・尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)が考案したとされています。菊五郎の役者文様では他に「斧菊琴(よきこときく)」が有名です。
  
《六弥太格子(ろくやたごうし)》
三枡文(みますもん/三つの正方形を重ねた模様)を互い違いに組み合わせた連続模様。三枡繋ぎ(みますつなぎ)および角繋ぎ(かくつなぎ)の変形です。江戸時代後期の嘉永年間に、歌舞伎役者の八代目市川団十郎が「一谷武者絵土産」の岡部六弥太(平忠度を一ノ谷の戦いで討ち取った源氏の武将)に扮したときに、裃(かみしも)にこの文様を使い、この名が定着しました。「三枡文」は市川家の定紋です。現代でも浴衣や手ぬぐいなどの柄に用いられています。
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