きもの用語辞典 

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・やえやまぐんぼう [八重山交布]
織物の名称・沖縄県八重山郡
重山で昔から庶民の普段着として織られた交織布が、ぐんぼうと呼ばれています。経糸は綿糸で緯糸は苧麻あるいは芭蕉、絹などの素材が用いられ、縞や格子柄、また白生地なども織られています。 ぐんぼうは着心地が良く、生活の知恵から生まれた実用的な織物として、戦後の頃までは広く自家用に織られ、また、近年見直されてきています。
織技法、模様は八重山上布と変わりはない。しかし素材がたてに絹または木綿を使い、緯糸に芭蕉または手績みの苧麻を使用し織られている違いがある。
   
・やえやまじょうふ [八重山上布]
竹富町、石垣市 
沖縄の八重山諸島のおもに石垣島で織られる麻織物。本来は苧麻(ちょま)を使って地機で織る絣(かすり)織りであったが、今はラミーや木綿を使った交織が多く、明治以降、高機で織る。絣柄は伝統的なものが多く、夏の着尺地になる。その特徴は絣糸の染料にある。紅露(クールー)という自然薯(じねんじょ)の根をすりおろして天日に当てて濃縮したものを摺(すり)込み染めして黒みを帯びた赤色を得る。織り上がった布は昔は海水に浸してさらしたが、現在はカルキで白くさらして仕上げている。
17世紀初めに現在の鹿児島県西部にあたる薩摩に琉球が侵攻され、課せられるようになった人頭税のために織ることを強制されたことが、八重山上布の技術の向上につながりました。人頭税廃止後の明治の終わりに組合が結成され、産業としてたいへん盛んになりました。しかし、昭和の大戦で一時途絶えてしまい、戦後は数名でほそぼそと続けられていました。
手績みの麻糸を紅露(ヤマノイモ科)の摺込捺染法で絣柄に染め、独特の高機で織った麻織物。海晒しで仕上げるのが特徴。
茶染の白絣、藍染の白絣、紺縞細上布、赤縞上布などがある。細い糸で織られ、軽いものほど上等とされる。   
    
・やえやまみんさー [八重山ミンサー]
織物の名称・沖縄県/石垣市、八重山郡竹富町
アフガニスタンから中国を経て伝わり、王府時代の16世紀初め頃、木綿布(ミンサー)の使用が記されていることから、この頃すでに八重山地方でミンサーが織られていたと考えられています。また、八重山ミンサーの名前は綿(ミン)のせまい帯(サー)からきたと言われています。通い婚の時代に女性から意中の男性に贈る習わしがあり、5つ4つの模様は「いつの世までも変わらぬ愛を誓った物」と言われています。
起源は明らかではないが、このミンサーには、八重山地方に遅くまで残っていた通い婚にまつわる逸話がある。
通い婚が行われていた当時、女性は相手の男性に「いつ世までも(五つ四つの絣文)」との愛情を込めてこの細帯を贈ったという。また、細帯にほどこされた二本の縦筋には「道を踏みはずして浮気などすることなく」という意味が、ムカデ模様といわれる帯の両耳についた横段縞には「足繁く通ってほしい」という願いが込められているという。
現在は、藍染のミンサー(細帯)ばかりでなく、多彩な帯やテーブルセンター、袋物などもつくられている。
    
・やがすり [矢絣]
絣柄の一つ。その形が矢羽根に似ているところからこの名がある。矢筈(やはず)絣ともいう。今日では織り絣だけでなく、染め物でも同じくよぶ。経(たて)糸を寸法を決めてくくって染め分けた絣糸をつくる。それを少しずつずらしていくと、しぜんに矢形の絣柄ができる。
   
・やかたぶねもん [屋形船文]
文様名 →紋様のページへ
   
・やきはく [焼箔]
銀箔を硫黄〈イオウ〉などを用いて化学変化を起こさせ、中金色・青貝・赤貝・黒箔などの種類にしたもの。
    
・やさん [野蚕]
蚕の一種。くわごともいう。室内で飼養する家蚕以外の蚕の総称。家蚕に対する語である。野蚕の種類は非常に多く、その繭を野蚕繭、または山繭という。
   
・やさんし [野蚕糸]

家庭で飼育される普通の蚕(家蚕)の繭から取る糸以外のものをいい、「柞蚕糸」(さくさんし)「山蚕糸」(やままゆ)「エリ蚕糸」など種類が多い。普通生糸のような白地のものは少なく、独特の色彩があり、脱色できず染色性に乏しい欠点がある。逆にその特性を生かした用途が考えられている。(「柞蚕」「山蚕」を参照。)

   
・やすきおり来織
織物の名称・島根県
大正年間に一世を風靡した民謡「安来節」、この町には芸能のほか織物・木工・竹工など工芸家が多い。安来織の創始者・遠藤小間野氏(明治30年生れ)は農家の出身、14才から母に機織りを習い、自分の感性に合うと思った。19才で役所勤めの夫君・理作氏と結婚。昭和4年頃から絹織ネクタイを織り始め、同6年頃から本格的に織りと向かい合う。そんな折、高機で織った綿絨緞の作品に注目した夫の級友・陶芸家の河井寛次郎氏(安来出身)は、「安来織と名付けて民芸品を織ってください。」と勧めた。民芸運動の振興を提唱する立場にあった河井氏は、故郷に新しい織りの息吹を期待した。
同8年、9名の工芸家が安来民芸協会を発足させ、遠藤氏は島根県民芸協会創立の役員も務めた。戦前は絹織りネクタイを主にしたが、一時機織りを中断し、戦後の同23年から綿の絣織に挑戦すべく、40才を過ぎての再出発となった。絣デザインはシンプルに、安来節踊り姿ののれんが好評だった。また版画家・棟方志功氏が寄せた「女人の顔」の図柄は、ロング・セラーである。安来織が全国に知られるのは、日本民芸協会月刊誌「工芸」の布表紙に1ヶ年使われたことによる。現在は遠藤千恵子氏が織元を継いでいる。
   
・やすもめん 野洲木綿
織物の名称・滋賀県野洲郡野洲町
正藍で染めた綿糸で織った木綿織物。この地方の農家は、自家用の衣料を織るため綿を栽培していた。自ら紡ぎ紺屋に染めてもらった糸で木綿を織っていたが、昭和二三年頃を境に衣生活が変化し、藍染木綿の需要が少なくなって、現在では一機業が伝統を維持するのみである。昭和三三年に無形文化財に指定されている。
   
・やたらじま [矢鱈縞]
縞柄の名。地糸と縞糸との配列が不同不規則な縞のこと。自由勝手に並ぶ縞目が新鮮で広く愛用されている。
   
・やつくち [八つ口]
脇明き・脇明けともいう。女物和服独特の脇下の通風孔。身頃の袖付止りと脇縫い止りの間を10~14cmほど縫い合わさずにあけておく。男物にはみられない。身頃の明きを身八つ口、袖の明きを振り(袖八つ口)と区別している。脇明きは唐制には見られず、朝鮮にも存在しないから袖をつけてあって八つ口のあるものは日本での古い時代の工夫であると考えてよい。
   
・やっこづまもよう [奴褄模様]
両褄模様ともいい、両方の立褄と八掛とに高さ20cmくらいの模様を配したもの。
   
・やつはしおり [八つ橋織り]
織物の名称・宮城県
絹織物の一種。八つ橋織とは、表繻子(しゆす)と裏繻子の組織を格子状に配した絹織物をいい、市松風ですが同じ大きさの正方形ばかりでなく大小や長方形などを組み合わせた自由な配置で地紋を現した絹織物のこと。
仙台藩の特産。羽織裏・夜具・コートなどに用いられています。
また、大小の市松を流動的に組み合わせたものは花八つ橋と呼ばれています。裏地、長襦袢、帯などに用いられています。斜紋織(しゃもんおり)の技法で、四角形の市松模様を織り出した綾織物(あやおりもの)のこと表繻子(しゆす)と裏繻子の組織を七・五・三の割合で市松状に配しためでたい織物として伝わる絹織物。もと、仙台藩の特産。
   
・やつはしもん [八橋文]
水辺に杜若(かきつばた)が咲き、その間に板橋を渡した文様。この組合せや表現は『伊勢物語』九段をふまえたもので、文芸文様に分類されるもの。蒔絵(まきえ)の遺品では室町時代のものであり、染織では桃山時代のぬい箔が早い。尾形光琳(こうりん)の八橋蒔絵螺鈿硯(らでんすずり)箱は著名。  文様名 →紋様のページへ
   
・やないじま [柳井縞
織物の名称・山口県柳井市参考HP
「柳井縞(やないじま)」は、素朴な木綿織物として、古くから親しまれてきた伝統織物です。
柳井が商都として栄えていた江戸時代、柳井縞は綿替(木綿商人が職人に原料を渡し、織る手間賃を払って製品を引き取る方法)として発達しました。 これが柳井木綿として全国に名を馳せたのは、江戸中期の頃からです。岩国藩が宝暦十年(1760年)から始めた織物の検印制度によって、高い品質が保証されていたからだと言われています。 しかし、近隣諸国の織物業衰微という時代の流れは柳井縞も例外としてはくれず、明治の後半から急激に衰退して、大正初期以降は幻の織物となってしまいました。
近年、伝統の芸を復活させようという声を受けて再現した「新生柳井縞」は手織りの風合いを大切にしながら新しさを加えて創作した木綿です。その素朴な手織りの感触は「柳井縞」ならではです。
   
・やなぎおり [柳織り]
絞りの一種。柳のような柔らかな線模様を絞り染で表したもので、巻き絞りの一種。浴衣や兵児帯に用いられている。滝絞りとも言われる。
     
・やなぎしぼり [柳絞り]
絞り染の一種。風に揺れる柳のような柔らかい線模様を、絞り染めで表したもので、巻絞りの一種である。滝絞りともいわれている。主に浴衣や兵児帯に用いられている。
   
・やつはしもん [八つ橋文]
文様名 →紋様のページへ
     
・やなぎもん [柳文]
文様名 →紋様のページへ
     
・やまとしろがすり [大和白絣
織物の名称・奈良県大和高田市
板締め染色法により、白地に紺絣柄を織りだした木綿織物。型染のようなきちんとした絣柄。
江戸時代の宝暦年間(1751~1764)頃、浅田操が越後上布の紺絣を木綿に織りだしたのが始まりといわれる。その後、工夫改良が加えられ白地に紺色模様の白絣となった。明治時代まではさかんに生産されたが、最近は衰退し、生産が途絶えている。中野白絣と並ぶものである。
    
・やまとにしき [大和
錦の一種。雄略天皇の頃日本に伝来した韓国製の錦にならって製織したものである。承平・天慶の乱後、韓錦は衰退し、中国から輸入される錦が多くなったので、従来の内地で作られる韓錦を大和錦と呼んだ。
   
・やままゆいと [山繭糸]
日本の特産で、くぬぎや楢などの葉を食べて繭を作る、山繭から紡いだ糸のこと。天蚕糸ともいう。山繭糸は野蚕糸の中では最も質のよい糸である。ざっくりした手触りと素朴な光沢があり、丈夫で野趣のある地風が特色である。山繭紬、山繭縮緬などがあり、希少価値のため、絹のダイヤモンドといわれるほど高価である。
   
・やままゆおり [山繭織]
野生の蚕、山蚕から製糸した山繭糸を使用して製織した織物。一般には全部を山繭糸で織らず縞や模様の部分だけ使用し、染色後そこだけ浮かび上がるようにしたものが多い。山繭糸は染色性が乏しいため、染あがりはややボケたような感じとなるから、そのつもりで色を選ばなければならない。コート地などに使用されることが多い。
   
・やままゆつむぎ山繭紬]
織物の名称・
櫟(くぬぎ)林で飼育された山繭から織り上げる特殊な光沢と地合いを表現する天蚕紬は、市場に歓迎され松本平の特産となった。特に松本紬はその11デニールの糸使いの「5世紀紬」を開発するなど、柄においても各工房のオリジナル作品を特徴としている。
   
・やまみちもん [山路文]
文様名 →紋様のページへ
     
・やみがすり [闇絣]
黒地に小さな乱絣を織り込んだもので、この一種に虎絣がある。
   
・やりうめ [槍梅]     
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・やわらもめん [谷和原木綿]
織物の名称・茨城県筑波郡谷和原村
正藍染の縞木綿。もとは農作業着として用いられていましたが、北島正藍研究所により、現在は伝統的な藍唐桟縞を現代感覚で再現した着物になりました。野良着が藍染なのは、藍の匂いと成分が虫除けにも化膿止めにも有効だという理由によるものです。綿の栽培がさかんだったこの地方では、各農家が自作の綿花を紡いで糸にし紺屋に藍染を依頼していたため、江戸末期には三百軒に二軒の割合で紺屋があったということです。
農村の衣生活の変化により廃業寸前に追い込まれたとき、勧めにより百本の藍瓶を公開、藍染愛好者に利用させることでして復活したといわれています。

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